相性問題

無線ルーターの設定が出来ない、と泣きついて来た友人を馬鹿にしながら

設定しに家に行ったら結局が繋がらなかったという情けなさ

無線の設定なんて誰でも出来ると言った手前

どうにかせねばと二日に渡り電話とメールで指示するも繋がらない

全部Win8.1のせいにしてぶん投げたいけどたかが無線ルーターの設定くらいでどうしてこうつまるのか

ググっても事例がひっかからないし、何かを間違えてるはず

時々こういう事が起こるのがネットワークの怖いところで

順々に原因を特定していかないと延々と嵌まって

窓からPCを投げ捨てる事になる

山崎豊子の「華麗なる一族」を読んだ

経済とか政治とかにはあまり興味を持てなくて読む機会が無かったけれど

今まで手を出さなかった事を後悔する面白さ

銀行、企業、官僚、政界と権謀渦巻く世界における、政治というものが

非常に濃密ながらも解りやすく、そして興味深く書かれててのめり込んでしまった

当分は山崎豊子を読み続けよう、去年の後半に宮城谷昌光をずっと読んでたみたいに

面白いと思う作者に出会えて、その読むべき作品が沢山待ってるってのは

非常に幸福な事だなあと今更ながらに実感

次は「沈まぬ太陽」ってのを読む

 

華麗なる一族〈上〉 (新潮文庫)

華麗なる一族〈中〉 (新潮文庫)

華麗なる一族〈下〉 (新潮文庫)

市川春子の「宝石の国 2」を読んだ

久々に漫画を買う

ほぼ全ての雑誌を立ち読みするという乞食思考な行動をしていた昔と比べて

漫画雑誌をまったく読まなくなり、コミックで買ってる漫画も三作くらいという体たらく

その三作も半年に一回やら年一回やらとあまり発売しない作品のため

漫画に触れる機会もとんと減った今日この頃、ヒストリエの次の発売日はいつ?

音楽もそうだけど、昔聴いてたバンドやら読んでた作家のみを追うようになったら

おっさん化の証なのかも知れないなあ、悲しいなあ

というわけで、久々に買った漫画、「宝石の国

市川春子は「虫と歌」ってのが面白かったから新作が出たら買っている作者で

何度か読み返さないと認識しづらい絵だけど、余韻の残るテンポが好き

というわけで次の発売日は半年後くらいだろうけど気長に待たせてもらうかな

あしがいたい

信号が変わって歩いて行くと次の信号で赤に嵌まる

目の前で変わる信号ほど嫌な事は無いので行きと帰りに走る事を強いられてる

そのせいで足が痛い、足がデカくて靴のサイズが合わないせいで足が非常に痛い

昔は毎日半長靴を履いて水虫の恐怖に怯えていたけれど

この、明らかに機能性を捨てた靴に比べたら

多少重くても天国だったなあとシミジミと思う

機能性を捨てて形骸化にはしるってのは往々にしてある事だけれども

名刺の受け渡しみたいにギャグとしか思えないビジネスマナーやら

譲ったりへりくだったりと訳のわからない言葉遣いやら

なんやらかんやらと不合理で溢れてて全くもって気に入らない

と、今更ながらにスーツの着用は自由だと告げられた金曜日

不平不満ばかり

昨日グチグチと電車内での不満をぶーたれてたせいか

今日の帰りの電車では背が高い美人ちゃんが居たり

隣に立ってたカワイコちゃんの読んでた本が、今読んでいる本と作者が同じだったり

話題のあれか、引き寄せの法則的な、盆と正月を一気に引き寄せた的な感じかな

と、いい気分もつかの間、道を塞ぐように並んで歩くカップルに遭遇してげんなりな帰宅

くっついてればいいものを、なんで微妙に間をあけるのか

常に自意識過剰に他人様の視線を気にしながら生きている身としては

周りを気にしない傍若無人さに羨ましさ余って不快さ百倍

と、書くことも無しに書いてたら案の定、ボヤキになってる

不平不満を言わずに感謝して生きようなんて啓発されたお花畑思考は勘弁だけど

行動が伴わない不平不満ほど不毛なものもないし気をつけなければ

我起立一個人

常々疑問に思うのは

電車でなんにも捕まらずに立っている人の多さ

バランス感覚にどれだけ自信があるのか知らないけれど

そりゃ子供の頃は電車の中で一歩も動かずに立ってられるかなんて一人遊びをしてたけど

両手で携帯を弄ってて怖くないのかなと

急な揺れがあったらどうするのかなと気になって仕方が無い

そんな中、つり革を握りながら本を読んでいる高身長で背筋が伸びてて脚が綺麗な女性

がいたら一目惚れしちゃうんだろうなあ

なんて、隣に立つ両手スマホ女に体当たりされながらの悲しい妄想

 

依存症

カフェインとか砂糖とかタバコとかギャンブルとかネットとか酒とか泪とか男とか女とか

一回だけならともかく少しでも続けると次から次へと欲しくなって、依存する

酒やタバコを切らせなくなったりお菓子を常備したり常に携帯を眺めてみたり

こういう中毒症状ってのは抗いがたいもので、いけないと思いつつも手が伸びて

ダメだと思うからこそ次が欲しくなる甘い罠

過食気味になったり引きこもったりと色々と中毒になった事があるけれど

自分の意図では無く、衝動からの行動をとらされるのは非常に不愉快なので

依存しそうなものにはあまり近づかないようにしている

楽して得られるものに良いものなんてないってのは解ってるんだけど

お手軽なだけに簡単に手に入るってのが怖いところ

なんて事をオバマさんとマリファナさんのニュースを見て思いました

カフェ飲

土日に夜更かしをしたせいかやたらと眠い月曜日

6時間は寝てるわけだから、それでも眠いってのは気持ちの問題なわけで

体育会系な考え方だけど、寝ずにゲームやったり本を読んだり出来るように

物事に集中さえ出来れば眠くなんてならないから

高校や大学の授業を寝続けてたのも明らかに気持ちの問題なわけ

そうは言っても眠いものは眠いので、そういう時はカフェインを摂取してしまう

コーヒーでとかじゃなくて自衛隊の教育期間とかに愛用してたエスタロンモカってのを

うんちのご機嫌が悪くなったりカフェイン中毒になるからオススメは出来ないけれど

飲むと明らかに覚醒して、脳味噌がフル回転して、カフェインやばいってなる

コーヒーが欠かせない人がいるように、無くてはならないものになったら大変なので

あまり使わない方がいいんだけど、ついつい頼ってしまうのが困ったところ

面白い事をやってる時はカフェインが必要ないくらい頭が回ってるのに

どうしてこう、自由にスイッチの切り替えが出来ないものかと

自分の体なのにままならない人間の不思議

書くことを習慣にしてみて

昼休みに書こうかなって事をちょこちょことまとめてる

そして帰ってから風呂入って飯食ってPCつけてブラウザ開いて

さあ書くぞ、と昼にまとめた事とは関係の無い日記を書き始める

こんな感じで二週間くらいが経って、そんな感じに習慣化されてきたけれど

職場での昼休みがスイッチになってるのか

部屋で着替えるのがスイッチになってるのか

休日になると書くタイミングが無くなる

やる気が出るのはやり始めてから、なんてのはよく言われてる事で

日記なんてのも書き始めないと書こうって気にはなれなくて

そこをなんとかするために、自動的に書く体勢になれるように

書き出すための行動をパターン化して日々の習慣にしてきたけれど

こういう習慣化の弱いところは、俺の弱いところは

パターンから外れるとやりたくなくなるという点で

何も決まってなかった頃の書く気が0だとすると

習慣から外れた時のやる気はマイナスになる

効率化やパターン化が進むと変化に弱くなるものだし、条件に遊びを持たせるべきか

でも緩くするとやらなくなるしなあ

休日でも平日でも変わらない事をスイッチにすればいいんだろうけど

寝る前とか起きた後とかほいほい書けないし、何をスイッチにするか悩ましい

休日は書かなくていいんじゃない?という心の声がして

まったくもって悩ましい

 

つまるところ継続するためには習慣化するか目的とかご褒美が必要で

Blogなんかは人からみられる事で、期待や賞賛を得る事で継続する力になるわけで

他者からの反応を求めてネットに文章が公開されてるのだから

大抵のBlogが読まれないままに、そしてまったく書かれないままに

放置されるのもむべなるかなと思わされる

確かに注目されるようなBlogみたいなのに憧れはあるけれど

そうなれるという期待はしてないし、当面はこのまま習慣として続けていこうか